目覚め

目覚めへの旅 Ⅰ

Posted on 2013-07-31
stairway to heaven

退院してからは、実家で暮らすようになり、父に車で送ってもらい会社に出社し、午前中だけ顔をだし、お昼休みにはまた自宅に戻る日々がしばらく続きました。

記憶喪失状態なので、車の運転はまともにできず、仕事では欠かせないパソコンの操作もままならない状態でした。

最初の頃は、パソコンの電源をいれて「Windows 7」の起動画面を見た瞬間、「Windows 7ってなに?」と自分の会社のスタッフに質問するありさま。

おまけに、愛用していたソニーのノートPC「VAIO」は、まるでわたしの変わりに犠牲になったかように、わたしが倒れるのと同時期に故障して再起不能状態でした。

どうせ記憶が無いならと、それを機にメインで使うパソコンをMacに変更しました。それ以来、ずっとMacがメインです。

とても救われたのは、バックアップデータをクラウドに保存しておいたので、大切なデータをすぐに復旧できたことでした。

不思議なもので、パソコンにふれていると、それに関わることを少しずつ思い出していきました。携帯の操作などについても同様でした。

退院して数ヶ月後には、車も運転できるようになり、自宅と会社の往復くらいなら1人でも大丈夫なほどに回復しました。

一番困ったのは”人”を思い出せないことでした。

ですが、自分の状況を正直に話し、その方から過去のわたしとの思い出話などを聞いているうちに、その方との関わりに関する記憶が走馬燈のように蘇るのでした。

そうやって、わたしに関わりが深かった人たちと再会し、コミュニケーションすることで、わたしの記憶はシナプスがつながるように少しずつ回復していきました。

結局、完全に社会復帰ができたのは、退院してから約半年後のことでした。

この世にもどってきた直後から、わたしは”誰か”に守られているような感覚がありました。朝起きた瞬間から、理由などない幸福感が続き、すべてに感謝し、多くを望まず、ありのままの自分で幸せでした。完全に人生の流れに身を委ねて生きていました。

今ふり返ってみると、今までの人生で、あのころの自分が一番幸せを感じて生きていたと思います。

会社は、社長のわたしがそんな状態でしたが、業績は順調でした。スタッフが頑張ってくれていたのはもちろんのことですが、不思議な力が働いているとしか思えないようなことが沢山ありました。

しかし、わたしが現場に完全復帰した頃から、業績は下降線をたどり始めました。今度は不思議な力がマイナスに働いているとしか思えない状況です。

大口の取引先が倒産、従業員の裏切り、期待していた新サービス開始の延期など、どうしようもない状態が続き、遂にはわたしの会社は破産寸前まで業績が落ち込んでしまったのです

この時の急激な乱高下について、精霊リュクシャに聞いてみました。

あのとき、記憶を失っていたあなたは、過去に捕らわれず”今”に生きていました。「今この瞬間を、あるがままに生きること」それが幸せの秘訣です。あなたは、記憶がもどるにつれ、過去や未来に囚われて生きるようになりました。特に事業の業績が下降しはじめてからは、完全に思考の中でダンスを踊っているような状態でした。”今だけを生き、人生の流れに身をゆだねている”状態から、少しずつエゴの渦の中に巻き込まれていったのです。今のあなたなら、その意味がわかるでしょう?

たしかに、リュクシャが言うとおりでした。退院当初は、半強制的に”今を生きる”しかない状況だったのに、記憶を取り戻すにつれて、わたしは以前と同じような思考パターンに囚われるようになっていったのです。そして、それと並行するように、理由のない幸福感は薄れていき、やがては消えてしまいました。

でもあながた幸せに暮らしたあの日々は、目覚めへの道を歩むことを決意した、天使からあなたへの贈り物でした。”今をあるがままに生きる”ことの大切さを、天使は伝えてくれたのです。あの幸福に満ちていた期間は、ビギナーズラックみたいなものです。産まれたばかりの赤子が母の胸に抱かれているときの感覚に近いものを、あなたは少しの間、感じることができたのです。

そうだったのですね。わたし選択によって、記憶が戻り、会社業績は悪化し、幸せな感覚は消えたのではないのですね?

サプライズ期間が終わったので、あなたは天使との約束によって、本来の道に戻りゲームを再開しただけです。

今の人生で目覚めに至り、天使との約束を果たすために、僕が再開したゲームは、その後も激動の連続でした。。。

続く

← Thanks for your clicks (^-^ゞ

【インフォメーション】
メールマガジンでブログの更新情報と、ブログに書けないディープな情報を配信しています。
登録はコチラからお願いします → http://synchronicitycafe.com/newsletter/


目覚めへの最難関 4

Posted on 2013-07-24

【過去の関連記事】
目覚めへの最難関 1 http://www.synchronicitycafe.com/awareness/34/
目覚めへの最難関 2 http://www.synchronicitycafe.com/awareness/68/
目覚めへの最難関 3 http://www.synchronicitycafe.com/awareness/74/

enlightenment

気がつくと病院のベッドの上でした。

わたしはあの後、救急車で病院に搬送され、なんとか一命をとりとめ、それから3日ほど、全身点滴漬けの状態で眠っていました。

すべて後から聞いた話ですが、倒れた現場から病院で処置が終わるまでの間に、3度の心肺停止状態におちいり、その度にAEDで電気ショックを与えて何とか持ちこたえたそうです。

主治医が、わたしの親へ説明した病状は、わたしは植物人間になる可能性が高く、もし意識を取り戻したとしても、元の生活に戻ることは不可能だというものでした。入院は最低でも1年は必要だと告げられました。

ところが、それから奇跡的に回復し、3週間で退院して自宅療養に移りました。数多くの病人を診てきたきた主治医でさえ「これは奇跡だ」とつぶやいたそうです。

さらに1週間ほどの自宅療養の後、少しずつ仕事に復帰したのですが、ひとつ大きな問題がありました。

わたしは、病院で意識を取り戻した直後から、記憶障害に陥っていたのです。

両親や兄弟、恋人、親しい一部の友人以外は、誰もわかりませんでした。そして、ほとんど過去の記憶が消えていました。さらにたちが悪いのが、昨日のことさえも、まともに思い出せないということです。そんな状態なので、未来のことなど考える余地もありません。

主治医に記憶障害のことについて質問すると「脳に血液がとどいていない状態のときに起こった障害なので、記憶を戻すことは難しいでしょう」という回答が帰ってきました。

しかし、その記憶さえも、時間をかけながら少しずつ取り戻していくことができました。誰かと話したり、情報にふれると、それがキーワードとなり、シナプスがつながっていくように、それに関連する過去を思い出していくのです。

とはいえ、過去の記憶を完全に取り戻すには、膨大な時間が必要でした。

そんな状態でしたが、当の本人はとても幸せな状態で日々を過ごしていました。

すべてが100%OKで、すべてを受け止め愛しているという状態です。

恐れや恨み、妬みなどのネガティブな感情は完全に消え失せ、ありのままで幸せでした。

自分が望めば、どんなことでも実現できるという、根拠のない確信がありました。

神の存在を感じ、自分を導く精霊の存在も感じていました。

世界は、そのままでパーフェクトでした。。。

しかし、わたしは記憶を取り戻し、社会に復帰していくに従い、神聖な感覚は薄れていき、さらに困難な状況へと人生は転げ落ちていったのです。

続く


目覚めへの最難関 3

Posted on 2013-07-18
enlightenment

親子関係のトラウマを開放したことで、生きることが楽になったと感じたのは、ほんの僅かな期間でした。

トラウマが解放できると知ったわたしの意識には、また次から次へと新たな苦しみがやってきたのです。

そこで徹底的に向き合えばよかったのですが、意志の弱いわたしは、また日常の忙しさや快楽にエネルギーを使うことによって、そこに背を向けました。

それでも、ときおり沸き上がってくる苦しみ・葛藤・怒りの塊を無視することができず、一時的には向き合ってはみるのですが、またすぐにそこから目を反らしては日常に戻るということの繰り返しを続けながら、さらに10年以上の歳月が流れました。

そんなある日、転機が訪れました。

ある日わたしは友人とバーで酒席を楽しんでいました。

夜も更け、時計が0時をまわった頃、わたしは突然床に倒れ、そのまま仰向けになって動かなくなったのです。

その時、一緒にお酒を飲んでいた友人は、わたしがトイレに行こうと思って席から外れ、酔っ払って転んだのだと思ったそうです。

しかしその直後に、わたしは寝転んだまま大きないびきをかき始めました。

そういう時のいびきは危険信号です。

とっさに「危ない」と直感した友人が駆け寄って体の状態を確認すると、その時すでにわたしは心肺停止状態でした。

続く


目覚めへの最難関 2

Posted on 2013-07-17
enlightenment

親子関係によるトラウマと再度本気で向き合ったのは、それから10年以上の歳月が流れてからです。

それは丁度、聖なる予言のようなスピリチュアルな本が世界的なベストセラーとなり、時代が大きく変わりはじめた頃のことです。

わたしは既に親から自立し、社会人として暮らすようになり、子供の頃に比べれば、ある程度の自由とお金を手に入れ、若さを謳歌していました。

それでも、ある時期から、「心の底で何かが満たされない自分」がいることに気がつくようになり、その感覚と向き合ううちに、鬱病のような状態になってしまったのです。

その頃から、また書店に足繁く通うようになり、かたっぱしからスピリチュアル系の本を読み漁るようになりました。

そしてたどり着いたのは、10年前と同じものでした

心の底から満たされることがない原因は、「親からの受け止めてもらえず、愛を感じることができなかったトラウマ」であり、「わたしは自分をありのままで愛することができない」ということでした。

少年時代と同じように、”みぞおち”のあたりに苦しみや葛藤、怒りが混合したような塊を抱えたままだったのです。

そして、スピリチュアルな本を数多く読んでいるうちに、それは第3チャクラがある場所だということがわかりました。

バーバラ・アン ブレナンの本などを読み、チャクラのことを勉強したわたしは、第3チャクラや第4チャクラを癒すことができれば、このトラウマから解放され、自分自身をありのままに愛せるようになるのではないかと考えるようになりました。

わたしは真剣に、自分を癒すための様々なエクササイズに取り組みました。

自己流に限界を感じ、バーバラ・アン ブレナンの弟子で、日本在住のヒーラーにヒーリングを施してもらったこともあります。

そして、ある日「その時」は訪れました。

とあるシンクロニシティがきっかけで、導かれるように明治神宮を訪れていた時のことでした。

“何か”としか言いようのないネガティブなエネルギーの塊が、わたしの体からすぅーっと抜けていったのです。

その出来事がきっかけとなり、わたしの親に対する長年の憎しみは薄れてゆき、過去を赦すことができたのです。

涙がわたしのほほを流れ落ちました。

「癒し」とはこういう感覚なんだと、初めて認識した出来事でした。

しかし。。。それが、さらなる苦しみの始まりだったのです。

続く


1 / 11